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福岡地方裁判所 昭和37年(わ)179号 判決 1964年6月11日

被告人 徳永康之 外二名

主文

被告人徳永康之、同秋吉与三郎を各懲役一年に処する。

但し、右被告人両名に対し、いずれも三年間各刑の執行を猶予する。

被告人徳永康之から金二〇万円を追徴する。

訴訟費用中証人麻生義太賀(第三回公判)、同東郷図南三郎(第四、第五、第六回公判)、同安河内麻雄(第七、第九回公判)、同高坂紫朗、同高木栄三郎、同熊谷豊、同吉村安生(第一三回公判)、同吉永治夫、同小藤田久蔵、同小方寅太、同春日栄に支給した分は右被告人両名の連帯負担とする。

被告人大岩根宗智は無罪。

被告人徳永康之、同秋吉与三郎に対する公訴事実中背任の点はいずれも無罪。

理由

第一、罪となるべき事実

被告人徳永康之は日本国有鉄道(以下国鉄と略称)の職員で昭和三一年一一月より昭和三五年二月まで国鉄下関工事局契約用地課長として国鉄用地の買収、交換及び土地建物等の権利の得喪、補償の事務を分掌し、国鉄博多駅改良工事に伴う福岡市東領一丁目二四番地所在国鉄所有の宅地三二五六坪(以下東領の宅地と略称)と麻生義太賀他一名所有の同市大字下長尾字小笹四〇〇番地の二四他三筆の山林合計五二五七坪(以下小笹の山林と略称)との交換及び新幹線路盤盛土用土砂採集補償の職務を担当していたもの、被告人秋吉与三郎は右両地の交換に介在して直接、間接これに関与し、また右盛土用土砂を国鉄との補償契約により納入していたものなるところ、

一、被告人徳永康之は、

(一)、昭和三三年一一月中旬頃被告人秋吉与三郎より右交換に関して国鉄総裁の承認を受けた小笹の山林の評価額三二二九万一〇〇〇円(但し五〇〇〇坪分)を約二〇〇万円引き上げ同額だけ国鉄に納入すべき交換差金を減額されたき旨の請託を受けてこれを承諾し、右評価額を三四七七万五四〇六円(但し五二五七坪分)に改めて正規の交換差金九五六万一四二二円のうち二〇〇万四三七六円を減額した上、昭和三四年六月一六日丸島武夫、高木栄三郎の両名を相手として右交換手続を完了したが、同年七月六日頃福岡市春吉五七七番地の被告人秋吉与三郎方において同被告人から右減額の謝礼として供与されることの情を知りながら現金一〇万円の供与を受け、以て自己の職務に関し請託を受けて賄賂を収受し、

(二)、同年七月二七日頃下関市竹崎町四二七番地国鉄下関工事局において、被告人秋吉与三郎が小方寅太他二四名所有の福岡市金隈建石の山地二七万二〇〇〇立方米の土砂を線路盤盛土用土砂として採収納入するに際し、指名を受けて一手に右土砂を納入する等格別便宜な取計らいを受けたことに対する謝礼として供与することの情を知りながら同被告人から現金一〇万円の供与を受け、以て自己の職務に関し賄賂を収受し、

二、被告人秋吉与三郎は、

(一)、前記一、(一)の日時場所において、被告人徳永康之に対し一、(一)の趣旨を以て現金一〇万円を供与し、以て同被告人の職務に関し賄賂を供与し

(二)、前記一、(二)の日時場所において、被告人徳永康之に対し一、(二)の趣旨を以て現金一〇万円を供与し、以て同被告人の職務に関し賄賂を供与し

たものである。

第二、証拠の標目(略)

なお、被告人秋吉与三郎は昭和二九年九月二日佐賀地方裁判所において贈賄罪により懲役三月に処せられて当時右刑の執行を受け終り、また昭和三五年一月二〇日福岡簡易裁判所において暴行罪により罰金一万円に処せられ右裁判は同年二月四日確定したものであつて、以上の各事実は同被告人の前科調書及び第二三回公判調書中の供述記載部分により明らかである。

第三、法律の適用

法律に照らすに、被告人徳永康之の判示所為中受託収賄の点は刑法第一九七条第一項後段に、収賄の点は同条同項前段に該当するところ、右は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条に則り重い前者の刑に法定の加重をした刑期範囲内において同被告人を懲役一年に処し、犯情刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二五条第一項を適用して三年間右刑の執行を猶予し、同被告人が収受した賄賂は費消して没収することができないので同法第一九七条の五後段に従い同被告人から金二〇万円を追徴すべく、

被告人秋吉与三郎の各贈賄の点は刑法第一九八条第一項罰金等臨時措置法第三条に該当するところ、同被告人には前示確定裁判を経た罪があつてこれと右各罪とは刑法第四五条後段の併合罪の関係にあるから、同法第五〇条に則り未だ裁判を経ない右各罪につき処断することとして所定刑中懲役刑を選択し、なお同被告人には前示前科があるから同法第五六条第一項第五七条に従い累犯加重をなすべく、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条を適用して犯情重いと認める判示二の(一)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において同被告人を懲役一年に処し、犯情刑の執行を猶予するを相当と認め同法第二五条第一項に則り三年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条に従い主文第四項のとおり右被告人両名に連帯負担させることとする。

第四、無罪部分

被告人三名に対する背任の公訴事実は、被告人徳永康之は国鉄下関工事局契約用地課長として国鉄用地の買収、交換等の職務を分掌し、国鉄博多駅改良工事に伴う国鉄所有の東領の宅地三二五六坪と麻生義太賀外一名所有の小笹の山林五二五七坪との交換事務を担当していたもの、被告人大岩根宗智は国鉄嘱託として同工事局契約用地課に勤務し被告人徳永康之の事務を補助していたもの、被告人秋吉与三郎は前記両土地の交換に介在していたものであるが、右両土地の交換に関しては昭和三三年一〇月二一日国鉄総裁において東領の宅地については坪当り一万三〇〇〇円その評価額四二三三万二四五二円、小笹の山林の内四一五三坪については坪当り五五〇〇円、内一一〇四坪については坪当り九〇〇〇円、その評価額合計三二二九万一〇〇〇円と決定して承認したものであるにもかかわらず、同年一一月中旬頃福岡市大字春吉五五七番地被告人秋吉方において、同被告人より被告人徳永、同大岩根に対し国鉄に納入すべき交換差金の減額方依頼されるや、被告人徳永、同大岩根においてこれを承諾し、ここに被告人三名は共謀の上昭和三四年六月一六日頃国鉄下関工事局長高坂紫朗と小笹の山林の当時の所有者丸島武夫、高木栄三郎両名との間に前記土地交換契約を締結するに際し、被告人秋吉の利益を図る目的を以て被告人徳永、同大岩根において職務上の任務に背き小笹の山林四一五三坪につき坪当り単価を擅に四八三円引き上げ右山林合計五二五七坪の評価額を三四七七万五四〇六円に改め、その頃正規の交換差金九五六万一四二二円の中七五五万七〇四六円を国鉄門司鉄道管理局に納入し、以て国鉄に納入すべき金二〇〇万四三七六円を納入せず、因て国鉄に対し同金額の損害を加えたものである、というのであるが、その犯罪の成否について検討する。

一、東領の宅地と小笹の山林とが交換されるにいたつた経緯の概略

第二、第二二回公判調書中証人大城久米蔵、(中略)を綜合すれば、次の各事実が認められる。

1、国鉄博多駅の移転工事は国鉄並びに福岡市多年の宿望であつたところ、国鉄は昭和三二年にいたり右工事着手の計画を樹立し、これに伴い福岡市も区画整理事業を実施するにいたつたが、該事業を急速に推進するには市民に率先し国鉄が東領の宅地を明渡して区画整理事業に対する協力の熱意を示すことが要望されたのである。ところが、東領の宅地上に国鉄職員の宿舎四五戸が建設されていたため該宅地を明渡すには先ず宿舎の移転先を早急に入手する必要に迫られたので、当時国鉄下関工事局契約用地課長の職にあつた被告人徳永康之がその衝に当ることとなつて同課臨時雇用員であつた被告人大岩根宗智と共に昭和三三年三月頃から適当な土地を物色して奔走した結果、小笹の山林が最適地としてこれに目ぼしをつけ、国鉄門司鉄道管理局もまた右山林以外に適当な宿舎敷地はないとして早急にこれを取得するよう指示したのである。

2、かくて、被告人徳永、同大岩根の両名は早速麻生義太賀に面会して右山林の売却方を交渉したところ、同人は既にこれを大城久米蔵に売却し手附金も受取つて同人にその処分を一任していたので更に同人を尋ねて折衝を重ねた結果、同年五月頃同人との間に小笹の山林を代金三二〇〇万円で売買する旨の契約が成立したのである。

3、ところが、同年七月頃にいたり国鉄としては予算の都合上右山林買受資金の出ないことが判明したので右山林を入手するにはこれと東領の宅地とを交換する外方法のないこととなつたが、一方大城久米蔵は麻生義太賀に対し早急に小笹の山林買受代金を支払わねばならない関係から右山林を東領の宅地と交換することに強く反対し現金売買を主張して譲らなかつたため、右山林の入手計画は一頓挫を来すにいたつたのである。然し、当時東領の宿舎移転先としては小笹の山林を除いては他にこれを求むべくもなかつたため、被告人徳永は窮余の策として東領の宅地買受希望者を捜して右山林を買取らせた上これを相手として東領の宅地と交換する外ないことに想到し、かかる方法による右山林の取得方につき上司の諒承を得た上その買受希望者を捜し求めるにいたつたのである。

4、かくするうち、中原栄造が東領の宅地買受希望者として現われたので、被告人徳永、同大岩根は直ちに下関工事局長高坂紫朗の指示諒解の下に国鉄所有の東領の宅地一一〇〇〇平方米(三三三三坪)を見込価額四三〇九万五〇〇〇円(坪当り一万三〇〇〇円)と評価して中原栄造所有の小笹の山林一六五〇〇平方米(五〇〇〇坪)その見込価額三二二九万一〇〇〇円(坪当り三六三一坪が五五〇〇円、一三六九坪が九〇〇〇円)とを交換差金一〇八〇万四〇〇〇円を徴収することとして交換すること等の原案を作成し同年九月一九日下関工事局長より国鉄総裁宛これが承認方を上申したところ、同年一〇月二一日附を以て総裁承認を得たのである。

5、ところが、中原栄造は資金繰り等の関係からその後買受をとりやめたため被告人徳永、同大岩根の両名は再び右宅地希望者を捜さねばならなくなつたが、剰さえ、福岡市当局よりは土地区画整理事業の遂行上国鉄宿舎の移転を昭和三三年中に実現するよう要請された関係もあつて、中原栄造に代る東領の宅地買受希望者を捜し出し小笹の山林を取得することは焦眉の急務とされるにいたつたのである。

6、かかる折から、被告人秋吉与三郎は右事情を聞知し東領の宅地を入手すれば必ずや多額の利益を挙げ得るものと見込んで何とか金策して小笹の山林を買受けて東領の宅地を入手しようと画策し、同年一〇月下旬頃当時小笹の山林買受人となつていた大城久米蔵と折衝して右山林譲渡の承諾を得たのである。かくて、同被告人は同年一一月初頃岡崎芳一を介し小笹の山林を買受けてこれと東領の宅地とを交換する希望のあることを申出たので、被告人徳永、同大岩根は直ちに被告人秋吉を訪れて協力方を依頼し交換の交渉を始めたのである。ところが、同被告人は大城久米蔵から同人が小笹の山林につきさきに国鉄と交していた代金三二〇〇万円の売買契約をそのまま同額で譲受けようとしたところ、同人より二〇〇万円の増額を請求されたので自己の蒙る損失を免れるため、被告人徳永、同大岩根に対し小笹の山林評価額を引き上げて右交換差金より二〇〇万円を減額するよう要求したのである。そこで、右被告人両名は已むなくこれを承諾し上司の承認も得ないで小笹の山林四一五三坪については所定の坪当り価額五五〇〇円に四八三円を増額し合計二〇〇万四三七六円を値上げして右山林合計五二五七坪の評価額を三四七七万五四〇六円に改め、東領の宅地三二五六坪の評価額を従来通り坪当り九〇〇〇円合計四二三三万二四五二円として交換することとし、正規の交換差金九五六万一四二二円を七五五万七〇四六円に減額した上被告人秋吉与三郎及び岡崎芳一を相手とした土地交換契約書を作成してその手続を進めたのである。

7、ところが、被告人秋吉は予期に反して資金の調達ができず、大城久米蔵もまた麻生義太賀に支払うべき代金(当時代金額は最初の二二〇〇万円から三〇〇〇万円に引き上げられていた)を調達することができなかつたため、昭和三三年末同人から右山林売買契約を解除され、かくて被告人秋吉も交換相手の立場から脱落して、被告人徳永、同大岩根は三度東領の土地買受希望者を捜さねばならない窮地に陥つたのである。かくするうち、昭和三四年小笹の山林が麻生義太賀等の所有に復帰したことが判明するや、被告人徳永、同大岩根は是非とも右山林を取得せんと再び同人と会い折衝を重ねたところ、同年三月頃にいたり同人は国鉄との現金取引で代金三六〇〇万円ならば売却するが、交換はしない、また国鉄以外の者とも取引しないという態度を堅持したのである。そこで、被告人徳永、同大岩根は万策尽きて再度被告人秋吉に協力を求め東領の宅地買受希望者の探索方を依頼したところ、同被告人は百方奔走の末同年五月頃にいたり買受希望者として高木栄三郎、丸島武夫の両名を紹介したので、被告人徳永、同大岩根は直ちに右両名を相手として交換手続を進め東領の宅地及び小笹の山林の面積、評価額、交換差金等すべてさきに被告人秋吉と岡崎を相手とした交換契約のそれと同一とし只交換相手を高木栄三郎、丸島武夫とした土地交換契約書を作成するにいたつたのである。ところが、麻生義太賀は小笹の山林代金を更に値上して三七〇〇万円を要求し、しかも国鉄相手の取引であることを主張して譲らなかつたので、被告人徳永は已むなくこれに応じ自ら国鉄の代表者名義を以て同人より右山林を三七〇〇万円で買取り更にこれを高木、丸島に同額で売却する旨の各売買契約書を作成し、麻生に対しては恰も国鉄が買受けた如く偽装して同人の要望に応え、一方、高木、丸島が支払う五〇〇〇万円の中三七〇〇万円を麻生に支払い、七五五万七〇四六円を交換差金として国鉄に納入し、残額五四四万二九五〇円を被告人秋吉が高木、丸島とのかねての密約に基きこれまでの出費等として取得し同年六月一六日東領の宅地と交換名義により小笹の山林を国鉄に所有権移転登記を了し、かくて、頭初焦眉の急務として推進された右山林の取得手続は途中幾多の困難と紆余曲折を経て漸く完了するにいたつたのである。

二、国鉄総裁の承認を受けた小笹の山林評価額を引上げて交換差金を減額し交換を実施したことの適否について。

押収にかかる証第七、第八号(博多駅移転に関する土地区画整理事業区域内宿舎移転に伴う敷地の交換その他について関係書類綴)の各種文書の様式、記載内容を仔細に検討し、国鉄固定資産管理規程第九七条乃至第九九条を塾読した上更に当裁判所の証人渡辺寅雄、同高坂紫朗、同加藤三郎に対する各尋問調書及び同人等の検察官に対する各供述調書を参酌して考察すれば、本件土地交換等に関する下関工事局長の総裁宛上申並びに総裁承認は右管理規程第九七条第九九条に準拠してなされたことは疑う余地のないところである。

そして、前掲証第七、第八号によれば下関工事局長は右管理規程の条項に基き国鉄総裁宛「博多駅土地区画整理事業区域内宿舎移転に伴う敷地交換その他について」と題する標題を以て交換渡地を交換受地の所在場所、面積、各評価額、徴収交換差金、交換相手等を具体的に明記してこれが承認方を総裁宛上申したのに対し、右具体的各事項と内容的に一体をなした標題の件について総裁承認のあつた事実が認められ、該事実に前示各法規が当該機関に専決施行の権限ないため所定の形式による総裁承認を受けしめている立法趣旨と更に前記三名の各証人尋問調書並びに検察官に対する各供述調書を参酌すれば、総裁承認を受けた事項は単に標題の事柄だけでなく、これと内容的に一体をなした具体的各事項についても原則として遵守の拘束力を有するものと解するのが相当である。しかしまた、右事項が極めて軽微なものでこれを変更しても国鉄の利害に影響の少ないことが明白な場合においては必ずしも右原則を固守する要のない場合もあり得ることは否み得ないところである。

ところが、本件の場合は実測の結果生じた交換両地の面積の増減や交換相手の変更の如きは兎も角として、交換受地の小笹の山林四一五三坪については坪当り五五〇〇円と評価し交換差金一〇八〇万四〇〇〇円(但し坪数減のため実際額は九五六万一四二二円であるが)を徴収することとして標題の件につき総裁承認を受けたに拘らず、擅に前示坪数につき坪当り単価を四八三円引き上げて評価した上国鉄が徴収すべき交換差金を二〇〇万四三七六円だけ減額したものであるから、かかる多額の国鉄収入の減少を齎らす変更は到底軽微な事項とも国鉄の利害に影響の少ないものといわれないから、下関工事局長は勿論、同局契約用地課長において自由にこれをなし得る筋合のものではないといわねばならない。然るに、被告人徳永の検察官に対する昭和三七年二月三日附、同月一三日附各供述調書、当裁判所の証人渡辺寅雄、同高坂紫朗、同加藤三郎に対する各尋問調書によれば、被告人徳永は同局契約用地課長として、また被告人大岩根は同課の嘱託として本件用地取得の衝にたずさわり両名共総裁承認を受けた交換差金を自由に減額し得ないことを諒知しながら、総裁の承認は勿論、下関工事局長の諒解も得ないで国鉄が徴収すべき所定の交換差金から二〇〇万四三七六円を減額した上交換手続を執行した事実が認められるから、被告人両名はその職務上の任務に違反したものといわねばならない。尤も、証第八号の昭和三三年一二月一五附土地交換契約締結についてと題する書面によれば、下関工事局長は右書類を決裁したことにより前示山林評価額の引上と交換差金の減額を諒承している如く見ゆるけれども、当裁判所の証人高坂紫朗に対する尋問調書によれば右書類の決裁は錯誤によることが窺われるから、該書面の存在は毫も前叙認定を覆すに足りない。

三、国鉄の損害の有無について。

被告人徳永、同大岩根の検察官に対する前掲各供述調書及び証第七、第八号によれば、被告人両名が小笹の山林と東領の宅地の交換承認方を国鉄総裁に上申するにあたつては、正規の調査機関に両地の評価額の鑑定を依頼しその結果に基き適正価額として小笹の山林は三六三一坪(但し実測の結果四一五三坪に増加)につき坪当り五五〇〇円、一三六九坪につき坪当り九〇〇〇円と、また東領の宅地三三一五坪については坪当り一万三〇〇〇円とそれぞれ評価した上、両地の交換差金一〇八〇万四〇〇〇円(但し実測坪数の増減により実際額は九五六万一四二二円に減少)を徴収することとして総裁承認を受けたものであるから、右交換差金のうち擅に二〇〇万四三七六円を減額して交換したことはすなわち同額の損害を国鉄に加えたものというべく、そして仮令、右の如き減額を認めなければ当時国鉄の要望する小笹の山林取得が困難または不可能の状況にあつて已むなくかかる措置に出でたものとしても、そしてまた、これによつて右山林取得の目的を達し得たことを考慮にいれても、なお前叙の如き正規の手続を経て定められた交換差金を擅に減額して国鉄予算の収入減を招いたことは、刑法第二四七条にいわゆる損害を国鉄に加えたものといわねばならない。

四、第三者の利益を図る目的の有無について、

第二、第二二回公判調書中証人大城久米蔵、(中略)によれば、東領の宅地と小笹の山林との交換手続は冒頭説示の如き経過を辿つて進められたが、大城久米蔵は昭和三三年三月五日頃麻生義太賀より右山林を二二〇〇万円で買受けて同年五月頃これを国鉄に三二〇〇万円で売渡契約をしていたところ、麻生に対する代金支払を遅延したことその他の理由に基き同人から次々に代金を値上げされ同年一一月頃は二九〇〇万円に増額されていた事実、被告人秋吉は東領の宅地を入手しようと大城久米蔵より小笹の山林買受の承諾を得た上同月一〇日頃被告人徳永、同大岩根から交換の交渉を受けた際、大城に対し同人が小笹の山林につき国鉄と交していた代金三二〇〇万円の売買契約をそのまま同額の値段で譲渡方申入れたところ、同人より麻生が二九〇〇万円に値上したから右三二〇〇万円に二〇〇万円を加算した代金で買取るよう申入れられるや、かくては自己等の入手金額がそれだけ減少するので被告人徳永、同大岩根に対し小笹の山林評価額を引上げて国鉄に納入すべき交換差金を二〇〇万円だけ減額するよう要求したため、同被告人両名は已むなくこれを諒承して前段認定の如く小笹の山林の坪当り単価を引上げ交換差金を減額するにいたつた事実が認められる。

そして、その事情につき、被告人徳永は昭和三七年二月三日附検察官に対する供述調書において、このようなことをしたのは麻生が土地の値段を引上げてきたので、秋吉の利益が少くなる為秋吉に土地の単価を上げてくれと要求され秋吉の利益を多くしてやるために単価を引上げてやつたのである、と供述し、また同月一三日附検察官に対する供述調書において、私としては評価がえをしたのは評価がえをするのが相当だと思つたからではなく、秋吉が麻生や大城にやる金が増えるからその分だけ国鉄に入る差額金を減らしてくれと要求したのでその様にしたのである、と供述し、また被告人大岩根は同月一三日附検察官に対する供述調書において、少し位秋吉に儲けさせても已むを得ないと思い徳永に相談して坪単価五〇〇円値上げすることにしたのである、と供述している。これらの供述によれば右被告人両名において小笹の山林評価額の引上が被告人秋吉の利益となることを認識していたことは言を俟たないところである。しかし、さればといつて該供述を捉えて直ちに右被告人両名が被告人秋吉の利益を図る目的を以てかかる措置に出でたものとは速断し難い。この点につき、更に被告人徳永は前示昭和三七年二月一三日附検察官に対する供述調書において次の如く供述している。すなわち、第三者と麻生との間に売買価格がどのようになろうと国鉄が買収するのでないので国鉄の関知することでないことは私も承知していたが、然しながら麻生が売渡す価格が余り高くて第三者が買いきれないと国鉄の交換計画も進まないので値段の折衝については深い関心を持つていた、(中略)そして一一月中旬頃具体的な話を決めるため秋吉の自宅に私と大岩根と一緒に参つたが(中略)その席で秋吉は私に「麻生の方から値上もあるし大城達の諸経費もみてやらねばならんので値上してくれんか」と言つた、(中略)私は秋吉に国鉄本社できめてしまつていることを変更することはできないと言つたが、秋吉は「値上を認めないなら話には乗らない」という意味のことを言うので私の一存で出来ないことは承知していたが一応考慮すると言つて別れた、と、また、私としては評価がえしたのは評価がえをするのが相当だと思つたからではなく、秋吉が麻生や大城にやる金が増えるからその分だけ国鉄に入る金を減らしてくれという要求をしたのでそのようにしたもので私や大岩根の一存でできないことは承知していたが、土地の交換の実現というのが私の仕事であつたからその功をあせつて秋吉の利得になり国鉄の損害になることを承知の上に国鉄本社に伺を立てるようなことをしないばかりでなく、上司の次長や局長にも図らずやつたのである、と、また、当時の私の気持としては仕事の上のあせりから秋吉の要求に応じなければ話がこわれて又延びてもいけないという気持があつた、と。次に、被告人大岩根は検察官に対する同年二月一三日附供述調書において、秋吉方で同人が「小笹の土地代を値上げされているので国鉄に納入する差額金を少し減らしてくれんか」という意味のことを言つた、徳永課長もその場にいたが即答はしなかつたと思う、私はそんなことは一寸無理ですと云つて一応断つたような気がする、その後下関工事局に帰つて徳永課長より秋吉が小笹の土地の単価を値上げして色をつけてくれというのでやむを得んだろうと言い二〇〇万円値上げしてくれと言われた、私はそんなことは課長や私等の一存でできる筈のものでないが課長も上げてやつたらどうかというし、又この問題が此処まで進んでいる以上このままで壊れることを恐れ少し位は秋吉に儲けさせてやつても已むを得ないと思い、坪当り単価五〇〇円値上げすることにした、と供述している。これらの供述によれば、右被告人両名殊に徳永が国鉄の必要とする小笹の山林取得を早急に成就させんと専心、努力しながら次々に発生する各種障害に遭遇して思うに任せず焦慮の念を濃くしていたことはこれを窺うに十分である。まして、国鉄予算の関係と福岡市土地区画整理事業の両面から挾撃を受け本件土地交換の事業が焦眉の急務とされながらも多くの障害に妨げられて難航を重ねたことは冒頭縷述のとおりである。かように不利な客観的状況の中にあつて右被告人両名殊に徳永は只管小笹の山林を買受けて東領の宅地と交換できる資力と希望を有する者を捜し求めていた折柄、右事情を察知した被告人秋吉が現われたので躍如して直ちに同被告人を訪れて協力方を依頼し交換の交渉を始めたのであるが、その際における両者の取引上の立場は被告人秋吉が遥かに優位に立つていたことは覆うべくもなく、さればこそ、被告人徳永の検察官に対する前掲各供述調書によれば右交渉の際被告人徳永は被告人秋吉から小笹の山林評価額の引上と交換差金二〇〇万円の減額方を要求され一度はこれを拒絶したけれども、更に同被告人から「値上を認めないなら話に乗らない」と突き放されるように申向けられたため、右被告人両名殊に徳永は折角被告人秋吉の出現により交換交渉が軌道に乗らんとしている際、万一ここで同被告人から手を引かるれば延び延びになつた小笹の山林と東領の宅地交換の話合がまたも崩れ去つて右山林取得が更に遅延することを恐れ早急にこれが取得を実現したい一念から已むなく右値上要求に応ずるにいたつたものと見るのが相当である。

なお、被告人徳永の検察官に対する前掲各供述調書及び昭和三七年三月七日附供述調書、被告人秋吉の検察官に対する同年二月一日附、同月八日附、同月一三日附各供述調書によれば、被告人徳永が昭和三三年一一月初頃被告人秋吉と面識を得て以来同月一〇日過頃前叙の如く小笹の山林評価額を引上げるまで僅かに十数日を出でないものであり、その間同被告人より金品の供与は勿論酒肴の接待を受けた形跡は認められず、また後日かかる供与や接待のあることを予測していた確証も存しないから、当時被告人徳永が上司の指示に背いてまで被告人秋吉の利益を図つてやるべき特別の事情も見出し得ないのである。

尤も、被告人大岩根の検察官に対する昭和三七年二月二日附、同月七日附各供述調書によれば、同被告人は昭和三三年一一月初頃被告人秋吉と面識を得てより同被告人から酒肴の接待等を受けていることが窺われないではないが、被告人大岩根は嘱託として被告人徳永の指示を受けてその職務を補助したもので右評価額の引上も全く同被告人の指示に従つたものであることは被告人徳永、同大岩根の検察官に対する前掲各供述調書により明らかであり、更に被告人大岩根の、徳永課長も上げてやつたらどうかと言うし又この問題が此処まで進んでいる以上このままで話の壊れることを恐れ已むを得ないと思い値上した旨の前掲供述を併せ考察すれば、前示事情は未だ以て被告人大岩根が被告人秋吉の利益を図る目的を以て小笹の山林評価額の引上げに同意したものと断定する資料とはなし難い。

なおまた、裁判官の証人秋吉与三郎に対する尋問調書と被告人徳永の検察官に対する前掲各供述調書によれば、被告人徳永が被告人秋吉の要求により小笹の山林評価額を引上げるに際し国鉄総裁や下関工事局長の承認を得なかつた所以のものは、被告人徳永において右引上につき再承認の手続を採れば小笹の山林取得が更にそれだけ遅延することを恐れたためと、国鉄用地の取得については国鉄随一のベテランを以て自ら任じ該手続の実施に当つてややもすれば上司を軽視し独断専行する傾向のあつたことに基因するものと推測される。

叙上認定の各種事情を綜合して考察すれば、被告人徳永、同大岩根両名がなした小笹の山林評価額の引上と交換差金の減額はその手続の過程において、法規を無視し上司を軽視したことについて相当の非難を免れないこと勿論であるとしても、畢竟、早急に東領の宅地と小笹の山林との交換を実現し国鉄の要望に応えんとする意図に出でたものというべきもので国鉄の利益を図る目的に出でたものと断定するのが相当である。

更にまた、昭和三三年一一月一〇日過頃交換相手としての被告人秋吉の要求により小笹の山林評価額を引上げて以来昭和三四年六月一六日高木栄三郎、丸島武夫の両名を相手とする本件土地交換手続完了まで七ヶ月の期間を経過し、交換相手も異つていて、評価額引上当時と些か事情の変更を来していることは否み得ないが、右期間中被告人徳永、同大岩根が早急に交換手続を完了せんと努力し焦慮していたことは上来説示の事実によつて極めて明らかであり、しかも被告人秋吉は交換相手としての地位から脱落したとはいうもののなお高木、丸島両名を交換相手にしなして常に同人等と不即不離の関係に立つていたこと、また被告人秋吉の要求に基いて已むなく小笹の山林評価額を引上げるにいたつた前叙の経緯と更に冒頭説示の如く小笹の山林代金はその後再三値上を余儀なくされて本件交換実施の際には前記値上した評価額三四七七万五四〇六円を遥かに上回り三七〇〇万円に評価されて該金額が麻生義太賀に支払われていること等、これら諸般の事情に徴すれば、被告人徳永、同大岩根がさきに値上した小笹の山林評価額を引下げ減額した交換差金を増額し因て以て正規の金額に引直した上、交換手続を進めることが不可能であつたことはこれを窺うに十分であり、しかも本件両地の交換を早急に実現することは国鉄の要望する至上命令であり、これを受けた右被告人両名の念願でもあつたのであるから、同被告人等が前示変更金額を基準にして交換手続を実施したことは、評価額の引上と同様国鉄の利益を図る目的に出でたものという外はない。

尤も、被告人秋吉が高木、丸島両名支出の五〇〇〇万円より麻生に支払つた山林代金三七〇〇万円と国鉄に納入した交換差金七五五万七〇四六円を控除した残額五四四万二九五〇円を取得したことは多額に過ぎる憾がないではない。しかし、右両名が五〇〇〇万円を支出することは被告人秋吉が自己の取得額を計算にいれて両名に要請したものであり、また、被告人徳永、同大岩根が交換直前まで該金額を知らなかつたことは同被告人等の当公判廷における各供述によつて窺われるのみならず、第一八回公判調書中証人黒田正人の供述記載、第二〇、第二一回公判調書中被告人秋吉の供述記載部分及び証第一一号(契約書)によれば、同被告人は昭和三四年六月八日頃高木、丸島両名との間に同人等支出の五〇〇〇万円から岡崎芳一等に脱退金等の名目で支払うべき五〇〇万円を控除した残額を以て東領の宅地入手資金に充てることを確約しており、しかもこのことは被告人徳永、同大岩根が如何ともなし得ないところであるから、同被告人等の立場からすれば高木、丸島が東領の宅地を入手するため提供した金額は四五〇〇万円に過ぎないことに帰し、該金額を基準にすると被告人秋吉の取得額は四四万円程度となるのである。そしてまた同被告人の前記供述記載部分と検察官に対する昭和三七年一月三〇日附供述調書及び証第一三号(承諾書)によれば、同被告人はその利得額から岡崎芳一、有馬英治に対し本件交換に関する脱退金や謝礼金等として四、五百万円を提供していることが認められる。以上のような一見不合理な各種現象が生じた所以のものは畢竟本件交換が国鉄の要望に副うべく無理を重ね早急に推進されたためとこれに乗ずる利に聰い介入者の巧妙な取引上のかけひきに由来することに思をいたすとき、被告人徳永が本件交換完了の日被告人秋吉の前示多額の金員取得を黙認したことは、毫も右交換が国鉄の利益を図る目的に出でたものと認定することを妨ぐべき資料とはなし難い。

叙上説示のとおりであるから、被告人徳永、同大岩根に対する背任の点は結局犯罪の証明が十分でないものというべく、従つて身分犯である本罪は身分を有する同被告人等に構成要件的要素を具備して犯罪の成立することを前提としこれに加巧することによつて身分のない被告人秋吉につき成立し得る関係上、同被告人についてもまた背任を肯定するに由なく、結局背任の点については被告人三名に対し刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡をなすべきものとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 中村荘十郎 石川良雄 富田郁郎)

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